2010年4月24日土曜日

庭春にして

百花繚乱の時節のはずですが、寒暖の差が激しい日々が続いています。当池のマス類の体調も絶好調とは言えません。水温が大きく変動する事は魚類に次の影響を与えます。変温動物である彼らの体温は水温によって決定されるので、体温も連れだって変動しストレスを受けます。養殖池でも魚病発症のきっかけになったりします。加えて上着を着たり脱いだりできない魚類は我々が考える以上に直接的にその影響を受けます。80℃のサウナに耐えられても、80℃のお風呂に入れないのと同じです。

大型連休の商戦を左右する重要な土曜日なのですが、70㎝級を筆頭とした放流群は上記の理由で沈黙。明日の放流が徒労に終わらない事を祈るばかりです。

「シロウトとプロ」なる表現をよく釣場で耳にします。はて、いかばかりのプロなる釣人が存在するのか都度疑問に思います。professionalとはその道でメシを食う人の事、アマチュアとの差は歴然、何事もその道で食っていく事は並の事ではありません。釣れなかったら妻子を路頭に迷わす危機感のなかで日々その技術を研さんし、どのような状況下でも結果の帳尻を合わせてこれる職業アングラー、それが「プロ」でありまして、以外は「シロウト」の域を出ていません。慣れているか否かの差にすぎないと思います。

2010年4月17日土曜日

新潟出張

去る3月15日にアユのお取引で新潟県の加治川を訪れた。商談の後の帰り際に組合長の一言、「明日来ればよかったのに」。翌16日は本河川のサクラマスの解禁日で、銀鱗のサクラマスを土産に持たす事ができたとの事。来所日時を指定されていた小生としては少々困惑。代わりにこの地名産の塩引きのサケをいただいた、Walton Gardenの館内に飾ろうと思った。

日本海を右に見ながら帰路に着いた。曇天のその日、車窓から見えるそれは鉛色の海、この海を越えて拉致されていった人々の悲劇が頭をよぎる。現実を許容できないまま叫喚し、非業の運命を受け入れざるを得なかった青年たちの胸中は推察するに余剰すぎる。苦境にある数十人の自国民に救いの手を差し出せずして、1億国民を守れるのか。この事は時の政府にとって外交、防衛を論ずる以前の、至極当然の課題だと思う。

2010年2月5日金曜日

国栄えて山河なし

水、木曜日にアユの種苗を仕入れに秋田県へ出向いた。久しぶりの冬の秋田だったので、雪見風呂にでもひたろうと北部の山間部の宿を選んだ。青森県との県堺ちかくの旧森吉町、白神山地のふもとに位置する。米代川の支流阿仁川の源流となる森吉山の中腹の一軒宿に泊まった。周りは自然という形容詞では表現できない秘郷であり、熊などの野生動物の生息域のど真ん中である。阿仁のマタギが祈りをささげてから入山した神の山、丸腰の都市部在住人間なぞ一日も生きられない世界である。


その宿への道中、最後の集落を過ぎ、携帯が圏外になり、眼前の冬山に畏怖を感じ、別世界に身を置く事の興奮が湧きたった頃、突如現われたのはダムの工事現場であった。その賛否の議論は他に譲るとしても、人間社会の利便と相殺で失われる他の生物の生息域は広大である。原生林は伐採され山肌を露出、ダムの下流域の河川の水族は激減、当然海域への影響もある。マタギを始めそこへ住む人々が祈りをささげた山が、治水、利水が名目の公共事業にジュウリンされていく。傷ついた神の山が与える罰は後世に露呈する、現在のダム施工者たちの存命中にそのツケがまわらない事が罪深い。

2010年1月8日金曜日

アンジェラスの鐘

放流メニューでご案内したとおり鐘でその時をお知らせすることにしましたが、昨日までは「アンジェラスの鐘」と呼ぶ事にしていました。アンジェラスとはラテン語で天使のことで、教会で鳴っている鐘がそれです。釣人にとって放流魚はまさしく天使のような存在なので、いい感じのネーミングと思っていました。しかし、教会から聞こえてくるその鐘は、主イエスがベツレヘムで生まれた事を忘れる事のないように鳴らされるもので、敬虔な信者はその時に祈りを捧げます。かくも神聖な鐘に冗談でなぞらえる事は度が過ぎると考え変更しました。

思えば故郷の長崎の街はよく鐘が鳴っていました。街を歩くと多くのシスターとすれ違うようなところです、教会もたくさんあります。幼いころ亡き母によく連れられて行った教会のミサの賛美歌には、ヘンクツな小生も純真な心になった事をおぼえています。後にこの教会の天主堂で、神父さんの前に若き日のカミさんと並んで立つ事になります。
若い頃しばらく住んでいたパリ郊外のランブイエの街にも鐘が鳴っていましたし、かつて旅したチューリッヒやフライブルグも同じ鐘が響いていました。

これらの教会の鐘は青銅製でとても高価で、我がウォルトンガーデンには手が出ませんでした。本心は5時間券を3万4千円に値上げしてでも教会と同じような鐘を鳴り響かせたかったのですが。

2009年11月19日木曜日

「小さな恋のメロディー」

ずーと昔イギリスの映画で「小さな恋のメロディー」というのがありました。マーク レスターが演じる主人公の少年の淡い恋の物語でした。当時同じく少年であった小生も悪ガキ連中と連れだって見に行きました。家出した主人公と少女が山小屋風の小屋で一夜をすごす事になり、夕食として主人公が川で魚を釣りその魚をムニエルにして食す場面がありました。元来ヘンクツの小生は、恋物語の内容より「魚をフライパンで炒めて食う」ということに感動し小生として始めて西欧文明が開化した時でもありまた。当時の田舎のガキのこと、魚といえば刺身か焼き魚か煮魚しか知りません。しかもそれをナイフとフォークで食す、カッコよかったですな。今思えば、「イングランド風ブラウントラウトのムニエル」だったのでしょう。

この事は小生なりの異国の価値観を劇的に変えることとなり、後にあいまって欧州へ遊学するハメにもなりました。このようにブラウントラウトは小生にとって思い込みの強い魚であります。連休にご来店のお客様でブラウンを釣った方、ぜひともご婦人と一緒に召し上がっていただきたいものです。ちなみにこの少年たちの恋が成就したかどうかムニエルで頭がいっぱいの小生には知るよしもありませんでした。ご存じの方教えてください。

というわけで、今回放流するブラウンのサイズは映画の題名に敬意を表しまして、小さなサイズにしました。「小さなブラウンのメロディー」ということで終わりにします。

2009年11月8日日曜日

有用な使途

癌の手術を終え退院したその足で当池にご来店なさったお客様が昨日いらっしゃいました。家人のご心配をよそに釣場に向かわれるその方は、釣りができるようになるまで回復した御身を確認されたかったのだろうと思います。その向かわれる先が私共であった事には感謝に耐えませんが、当釣池がその方の思いを満たす事が出来るのか心配しました。。万感の思いでキャストなさるその思いの丈に、私共とこのマス類の応対は届かなかったのではないかと深く恐縮しています。

久しぶりに涙線のゆるむ出来事でしたが、養殖魚の有用な価値はこういう場面で発揮されるべきで、釣人と魚の友好でかつ正常なバランスのゲームが成り立つ場面であったと考えます。

2009年11月1日日曜日

夢のあと

今回計らずも釣池の水をほとんど抜き去るハメになりました。開業以来4年ぶりの作業でした。水位が下がり徐々に底が露出していく釣池は、水をたたえたその姿が虚像であったかのように、荒廃したサマに豹変していきました。この池がはぐくんだ4年間のさまざまな思い出が目の前で崩落していくような悲哀を感じた時でもありました。

そして、姿を現した底部には無数のスプーン。浮遊していた死亡魚とおびただしい数の錆びた疑似餌が物語るのは釣人の夢のあと。その夢のために命を差し出す事が宿命であったマス類には鎮魂の歌もそえられず、サイズが大きいやら小さいやら揶揄されて死んでいくという現実に、同じ生命体として健全なバランスがとれていないように感じました。管理釣り場を経営する者にはあってはいけない感覚でしょうが、今後の営業方針に一石を投じられた感があります。